ミニチュアダックス4頭と過ごす日々の出来事~ママに赤ちゃんが授かる事を待ってる パパとママと4ワン達の生活ダイアリー

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
こんにちは♪

先週の土曜日。

姪っ子が義民祭で歌を歌うとのことで

急遽、岡山まで行ってきました!

姪っ子のハッチは現在5年生。

岡山の新本(しんぽん)という所に住んでいます。

昔、昔・・・新本で起こった新本義民騒動を全学年で舞台をします。

全学年でも80名いませんが、学年ごとにする事が決まっているのです。

ハッチが4年生の時も見ましたが、この新本義民騒動の話は何度聞いても

胸が苦しくなります。

そして、それを演じてる子供達を見て胸がいっぱいにもなります。

ハッチ頑張りました!

一番上手だったよ♪





CA3G0160_convert_20110719171446.png





学校を出た道にはずら~っと灯篭が立てられていました。

三面に学年・名前と義民の里と好きな絵が書かれていました。

ハッチ字も絵も上手ですw





CA3G0163_convert_20110719171501.jpg





CA3G0164_convert_20110719171512.jpg






新本義民騒動



     江戸時代の慶長20年7月(1615年)、岡田藩初代藩主・伊東長実が藩領の備中国10か村
     にある村民の共有林である入会山[1]を順次取り上げ藩有林としていった。岡田藩領であっ
     た同国下
道郡新庄村・本庄村(現・総社市新本地区)においては
     1661年(万治4年/寛文元年)頃より入会山の藩有化が行われた。藩側は山を造林し、
     「留山」として村民の入山を禁じた。
     さらに約50年後の1716年(正徳6年/享保元年)頃には、残されていた共有山であった
     新庄村の大平山・本庄村の春山の大部分を取り上げた。また、造林を伐採し、
     割り木・用材とし、それを藩庁のある同郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)まで運搬すること
     を村民に命じた。それに伴い村民に支払われる運賃は、1駄(約42貫)4分5厘という
     低い額であった。

     低賃金の上、重労働・農作業その他生活の時間が奪われることになり、生活に支障を来す
     事態となったため、新庄・本庄両村民(203人とされる)は会合を開き、留山とされた山の
     返還と割り木・用材運搬の中止を嘆願することを決意。それらを主な内容とした三箇条の
     嘆願書を作成し、享保2年(1717年)に藩側へ提出した。しかし藩と村民の意見は対立した。

     この事態に同郡川辺村の蔵鏡寺住職など識者が仲裁を行い、数度にわたる藩側と村民側
     との話し合いが行われた。結果、一部の山を開放し、下草を取ることが許可された。
     同年3月15日村民側は会合を開き、開放に制限があることに不満があるも譲歩し、
     これを受け入れた。
     しかしながら、村民は全留山の開放を求めることを誓い、神文誓書を作り、鎌で切った
     指の血で署名し、これを本庄村にある稲荷山の大岩の下に埋めたといわれる。
     4月14日、住職等の協力の下、藩と村民の間に正式に調停が成立。役人が来村し、
     山の引き渡しを行った。

     翌享保3年(1718年)、藩側が開放許可された山において、許可していない木々の
     伐採行為が行われていることを疑い、取り締まりを強化。同年12月30日に盗伐が発覚。
     藩は盗伐調査を行い、盗伐者の出頭を命じた。しかし、村民からは誰一人として出頭す
     る者はなく、藩と両村民は激しく対立することとなり、庄屋が投獄される事態になった。
     村民は江戸の屋敷にいる藩主・
     伊東長救に直訴を決め、松森六蔵(まつもり ろくぞう)・荒木甚右衛門(あらき じんえもん)
     ・森脇喜惣治(もりわき きそうじ)・川村仁右衛門(かわむら にえもん)の4人を村民代表と
     して選出、要求書を持たせ、同年2月13日に江戸の藩主の元へと派遣した。数日後、4人
     は無事江戸へと到着し、藩主への要求書提出を成功させた。

     嘆願要求は、ほぼ内容通り実現されることとなったが、それと引き替えに4人の村民代表
     は反上の罪により処刑、その家族は国外追放、さらに財産没収および家屋取り壊しとなる
     こととなった。
     享保3年6月7日(1718年7月4日)、新本川の飯田屋河原とよばれる川原で、村民の目前
     で4人は打ち首によって処刑が実行された。享年はそれぞれ六蔵77歳、甚右衛門44歳
     喜惣治36歳、仁右衛門44歳だったとされる。
     なお、処刑こそ逃れたが、罪に問われた者は多く、60名弱に及ぶ。



現在ではこういう話はありませんが昔~昔はこういう時代だったのだと思うと

今を生きる私達は幸せです。

この舞台の中で歌われる合唱の歌詞の中に「今、新本に生きる」って歌詞があります。

この歌詞のところの歌を聞くと、子供達、それぞれ感じ方は違うだろうけど

それぞれにいろんな思いを受け止めながら生きてるんだな~ってジ~ンときちゃいます。

ハッチがどれだけのことを分かってるかは定かではないですが(笑)

内容よりも舞台をやり遂げることで頭がいっぱいかもしれませんが

何度見てもいい舞台です。

来年は6年生。最後の舞台は何の役になるのかな?

6年生は登場人物の役をするので、着物を着てそれぞれの役になりきります。

四人衆かナレーションが希望だと言ってましたが、また来年が楽しみです。




2011.07.21 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://akubihanabi.blog35.fc2.com/tb.php/264-aaec6e44
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。